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連載コラム『ティーブレイク』(22)

2025.01.15 技術研究、コラム

連載コラム『ティーブレイク』(22)

 

原風景

 

 2025年(令和7年)は、昭和から100年、戦後80年という節目の年にあたるそうですが、いったいどんな年になるのだろうか。ガザやウクライナでは戦争の終結が見えてくるのだろうか。異常気象は、いよいよ牙をむき出しにしてきたように思うがこれからどんな気候、環境になるのだろうか。

 ガザやウクライナの子供達は戦争の中でどんな風景を見ているのだろうか。かつて戦争中に日本では国策により満州(現在の中国東北部)に多くの開拓団などが海を渡った。満州にいろいろな夢を追い求め日本を出たが、敗戦とともに夢破れ、国や軍隊に見捨てられ、難民となって命からがら日本に戻ってくることになった。いや生きて戻れなかった多くの日本人がいた。ある時、満州からの引揚者の方に話を聞く機会があった。どんな夢を持っていたか、満州での生活はどんな様子であったかなどは話してくれたが、引揚時のことは一切話さなかった。戦争を経験していない私に話しても理解できないくらいの辛く苦しく悲しい経験をされたのだろう。そんななかで最後に一言、ポツリと「満州の夕陽はきれいだった」とおっしゃった。この方の原風景は辛い戦争の中で暮らした満州にあるのだろう。

 山口県に大津島という島がある。この島には戦争中、特攻兵器である人間魚雷「回天」(魚雷を改造し人が一人乗組めるようにした兵器)の基地があった。その一角にトンネルがあり、歩いていくと海に出る。トンネルにはレールが敷かれているが、このレールで回天を運搬し、出撃していったのだろう。レールの先に見えたものは美しく綺麗で穏やかな瀬戸内海であった。この海が乗組員にとって最後に見た日本になったのかと思うと、私はその場から動けなくなってしまった。20歳前後の若者が特攻隊員として見た日本の原風景はこの海なのだろう。

 昨年の日本の夏は酷暑であったが、冬は一転北国や日本海側の地域では大雪となっている。このまま夏と冬だけが日本の季節になってしまうのだろうか。以前には考えられなかったような大型台風の上陸、集中豪雨による土砂災害、生活に支障をきたすような酷暑や大雪など、夏や冬はその季節を強く印象付けているが、春や秋はどこに行ってしまったのか。日本の四季は、世界に誇れる気候、環境ではなかったのか。かつて川端康成はノーベル文学賞の受賞講演で日本の美しさを紹介したそうですが、桜、紅葉、月を見て季節や自然を楽しむ、そんな経験を次世代の子供達はすることができるだろうか。このままでは、子供達の原風景は集中豪雨や土砂災害に見舞われた家屋、田畑、河川になってしまうのではないだろうか。

 戦争もそうだが、今、環境問題や気候変動に取り組まないと取り返しのつかないことになる。かつて我々の親や祖父母が経験したような戦争の原風景ではない、美しい日本の自然や環境を原風景として次世代に遺してやることができるだろうか。
 皆さんは、どのような原風景を持っていますか、そしてその原風景を次世代は見ることはできますか。

 

 2025年1月6日  TTC参事  菊谷 彰