連載コラム『ティーブレイク』(4)
2022.01.18 技術研究、コラム
~ 年頭に想う ~
今年こそはコロナからの脱却をと初詣でお願いしたのに、いきなりオミクロンの猛威にさらされるとは先が思いやられる年の初めとなりました。
年の初めと言えば、年賀状で友達・先輩・先生などの近況を確認された方も多いのではないかと思います。
小生もご多分に漏れず日頃会うこともなくなり年賀状だけがお互いの近況を知る唯一の機会になってしまった学生時代の友がいます。政治や経済などを話題に下宿で夜中まで議論したことを懐かしく思い出します。ある友とは福祉か何かの話になり、彼の考え方に納得がいかず大喧嘩となり絶交状態になってしまいました。その後、彼は高校の教諭となり、りっぱな人生を歩んでいると風の便りに聞き、岸田総理のように人の意見を聞くことができていれば、大切な友を失わずに済んだものをと今更ながら反省したものです。
そんな学生時代に何故か、友と環境問題について議論した記憶がありません。大学の講義では既にその頃、地球温暖化や二酸化炭素濃度の上昇について学んでいたはずなのに、真面目に勉強しなかったので議論するまでには至らなかったのかもしれません。今やその環境問題を無視した政治、経済、日常生活はあり得ないまでの状況になってしまいました。
もう議論は十分だ、具体的な行動に移せとの話もよく耳にしますが、核心となるような思想や理念がないと社会的な大きな動きにならないのではないでしょうか。そこで、ある環境団体が脱炭素社会を目指す具体的行動のよりどころの一つの考え方として「足るを知る」という考えを提唱しました。これは、皆さんよくご存じの古代中国の思想家であり哲学者である老子の言葉とされています。その意味として、「身の程をわきまえて、むやみに不満を持たない」、「内面が豊かでいることは幸せである」、「今ある現状を受け入れることで、満足感や幸福感につながることに気がつく」というような例えに使われたりします。
何だそんな昔話に出て来るような教えをよりどころに未来を切り開こうとするのか、公害の時のように技術革新や開発にて脱炭素社会を切り開いていくべきだ、環境問題より経済を優先させるべきだなどとの考えもあるかと思いますが、従来のままではもうこの先がないまでに現在は追い込まれています。
我々には、未来世代への責任があるはずです。
脱炭素化社会の実現に向け、自分が何をよりどころとし、どう具体化するのかを考え、責任を持った行動に移す一年にしてみませんか。
2022年1月18日 TTC参与 菊谷 彰